医療安全よもやま話
第40回:揺らぐ“確実”——記憶の罠と医療安全の本質 ー水沼 直樹ー
2025-12-25
「弁護士は、人の記憶の矛盾をついて尋問してきて、いやらしい!」、私もそう思ってます。
だって、自分で経験したことを勘違いするはずがない、との前提で、細かいことを聞いてくるんですから。
「あなたが経験したのですよね。記憶が入れ違うなんてことありますか?」とか聞いてくる弁護士もいます。
「しっかりと理由をもって判断したことが、後から「記憶違いでした」で済むはずがない、そう思いませんか」だなんて突っ込むこともあるでしょう。
私も、そういうツッコミは当然だろうと思っていました。
その日までは。
その日までは。
.jpg)
少し前のことです。
30代だった当時の私は病院に勤務していました。
ひょんなことから幼鳥を飼育することになりました。
どんな餌を与えて良いかもわからない私は、幼鳥の餌についてインターネットで調べてみまして、飼い始めは砂糖水か塩水で様子を見て、元気が出たらフードを与えると良いことが分かりました。
そこで、当時の勤務先の友人に、廃棄処分となったブドウ糖液か生理食塩水溶液をもらえないか、と聞いたところ、「廃棄予定なので両方どうぞ」と、ブドウ糖液と塩化ナトリウムを譲ってもらいました。
そうです、よく見る白濁アンプル容器に黒色やオレンジ色でデザインされた¬20mLくらいの、例のアンプルです。
昼休みに自宅に帰って、どちらを初めに与えようかと考えまして、「あまい水の方がいいだろう」と思い、ブドウ糖溶液を与えることにしました。
薬剤取違いがあってはならないなんてたいそうなことを思いながら、「間違えないように」と考えて、オレンジ色でナトリウムと書いてある容器を遠くに置き、黒色でデザインされたブドウ糖液と書いてある方を左手に持ち、蓋を開けました。
そして、ピペットで吸い取り、ヒナに与えました。ヒナは美味しそうに飲んでいました(多分)。

その後、仕事に戻りました。
ところがで、終業して帰宅してみると、オレンジ色の「ナトリウム」と書いてあるアンプルの口が開いており、「ブドウ糖液」と書かれたアンプルが、遠くの窓辺に置いてありました。
でもですよ、私の記憶には、その時も、その後も、そして今も、確かに、「間違えないように、ナトリウムを遠くに置いておこう。」と思って、それを手に取り、オレンジ色のアンプルを窓辺に置いた記憶が残っています。
しかし、目の前には、明らかにナトリウム液容器が開いており、ブドウ糖液が未開封の状態でした。
つまるところ、私が誤薬投与をしたのです。
あれほど、明確な理由と記憶があっても、選択してはならないと決めた方を選択していたのです。
この経験から痛感したのは、どれほど注意深く行動したつもりでも、人間の記憶や知覚には避けられない限界があるという事実です。
人は「見えていないものが見え、見えているはずのものが見えなくなる」ことがあります。
その脆弱さを前提とせず、「個人の過失」だけを追及しても、事故は決して減りません。
再発防止の鍵は、必ず人間の弱さを包摂できる仕組みづくりにあります。
医療安全管理に携わる皆様は、まさにその要となる存在です。
現場の声を拾い上げ、見えないリスクに光を当て、人を守るシステムを構築する仕事は、何よりも尊く、そして未来を変えます。
どうか、自信を持ってください。
あなた方の取り組みは、確実に患者さんも、現場で働く仲間も、そして過去の私のようなうっかり者をも救います。
人の命と尊厳を守るため、これからも一緒に、より安全な医療を築いていきましょう。
東京神楽坂法律事務所 弁護士・海事補佐人
水沼直樹